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月明かり










21
 8時を5分過ぎた頃。
 入り口付近から一人の男が、黒い男に案内され3番テーブルに向かう。
 それほど高価とも思えない黒いジャケットを着た痩せ型の男。
 年齢はやはり30半ば位か。
 波多野 勲(はたの いさお)。
 確か塩田から聞いたフルネーム。


 しばらくして波多野の前にバドワイザーの中瓶とグラスが置かれる。
 いつの間にか店の中をバニースタイルの女が歩き始めている。
 店内にはジャズバラード “Black&White” が繰り返し流れていた。


 この店の中で唯一 一人で来店して一人で過ごす男 波多野。
 「ちょっと エエかな」
 私達の横を通り過ぎようとしたバニーが立ち止まる。


 視線を落としながら喋り始める塩田に、バニーも膝を折る。
 私の目にふくよかな胸の谷間が映る。


 「あのテーブルに一人で座っているお兄さん・・よく見かけける人かい」
 塩田の向いた方向に目をやったバニーがしばらく考え、首を振る。


 「いえ、・・たぶん初めて来られた方だと思います」
 「・・・そうか おおきに」
 そう言って私の顔を覗き込む。

 
 「じゃあ そろそろ ごたいめ〜ん と行きましょうか」
 その声に黙って頷いた。


 心臓の高鳴りはいつしか収まっていた。
 席を立ち歩き出した私を制止、塩田が先を行く。
 

 「失礼ですが、波多野さんですよね・・・・御無沙汰してます。・・○○出版の塩田です」
 関西訛りの声に波多野が顔を上げた。


 あれ!? ・・・ 波多野の瞳の奥にその声が上がる。
 「確か・・・ 以前 道尾先生の担当をしていた・・・○○出版の・・・」
 間違いなく私の背中が、覚えていた声だった。


 「ちょっとよろしいですか」
 相手の返事を聞く前にイスを引く塩田。
 私も一つ頷き、腰を降ろす。


 波多野が私を見て軽く頷く。
 高圧的でもなく、だからと言って怯えの目でもない。
 私の顔を知らないのか?
 東京駅で私を見てニヤッと笑ったではないか、お前は・・。


 「波多野さん お久し振りですよね・・・・以前 2、3度お会いしましたよね」
 「ええ そうでしたね」
 落ち着いた声が流れる。
 塩田の得意の営業トークが始まり、この店の話、街の話題と続き、私は時折相槌を打つ。
 すぐに波多野の緊張が解けていった。


 「ところで、僕が道尾先生の専属担当から外れた頃に、道尾(せんせい)の元に来られたんでしたよね」
 「そうでしたっけ・・・もう随分 昔の事ですよね」


 「僕も部下と担当を交代してから先生の所に行く機会が少なくなりましたからね・・・・波多野さんは、先生の元で修行されてたとか・・」
 「ええ まあ・・でも結局 私には才能がありませんでしたよ、作家としての・・」


 「そんな事はないんでしょうが・・・、先生が亡くなられてからは、どうされてるんですか」
 「先生の亡くなった後ですか? ・・先生が亡くなった後は、残務が大変でした・・・・その後は職を転々です・・・・」


 「・・・・・・・・」
 「結局 道尾(せんせい)の所に居た時は、最後まで作家には程遠い役回りばっかりでしたよ」


 「いろいろ大変やったんですね」
 「まあ 作家の弟子なんて実際のところ、小間使いみたいなもんでしたから」


 「・・・・・・・」
 「あの株を買っとけ、買った不動産を管理しろ・・・それに色んな輩(やから)が集まってきて・・」


 「やから?」
 「怪しげなブローカーみたいな奴らですよ・・ヤクザくずれみたいなのもいました。・・最初は、『先生のファンです』 ・・なんて言って近づいて来るんですよ、どこからか伝(つて)をつたって」


 「ふ〜ん」
 「先生もそんな連中たちと旅行に行くようにもなりましてね。私はよく旅行の手配をさせられましたよ」
 目の前のこの男は寂しがり屋なのだろうか、しばらく人と話す機会も無かったのではないか・・・自分の口調に酔うように話し続けてくれる。


 「先生がそんな調子やったら、奥さんも大変やったでしょうね」
 塩田の口ひげがピクリと動いた。


 「京子さんの時はそれ程ではありませんでしたけど・・・2人目の・・・佳恵さんの時は・・・」
 波多野の声が一瞬沈んだ・・・ような気がした。


 「・・・・佳恵さんは・・・・」
 波多野の言葉に、2人に気付かれないように唾を飲み込む。


 「佳恵さんは、それでも・・・良い方でした」
 (・・・・・・)


 その瞬間 BGMのエンディングが店内に鳴り響いた。










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