20 田舎町にある大学でも入学式ともなれば、それなりに華やかなものであった。 自分の入学式が今から10年以上も前の事だと思い出せば、感慨深いはずの式典のはずなのだが、この席に座っている夏美の気持ちは、どっぷり泥の中に浸かっている気分だった。 先程から式典を進める司会の男の大げさな喜びの声も、夏美の心に響く物は何一つなかった。 この一週間、度あるごとに“あの夜”の惨劇が頭に蘇ってくる。 堂島泰三・・・・今、檀上の左端でドッカリ腰を降ろし、ひと際強いオーラを放つ男。 独特の雰囲気を持ち、決して万人に好かれるタイプでない事は初めて会った時から判っていたが・・・・。 それでも人を惹き付ける魔力のような力を持っている事は認めていて・・・。 そして・・・その男に犯された。 人妻と知っていて・・・・その貞操を汚された・・・・。 目を覚ましたのは、次の朝の見知らぬベットだった。 すぐにあの男“堂島泰三”が現れた。 堂島は淡々と話し掛けてきた。 『貴女は素晴らしい資質を持っておる。儂がそれを解放してやる』 憎悪の目を向ける夏美に、堂島は話し続けた。 『儂は女なら誰でも見境なく手を出す男では無い。貴女は儂に見初められたのだ。・・・・・・この事は覚えておくとよい』 (・・・・・・・・) 夏美は歯を食いしばった。 『一週間後の入学式の日、その夜もう一度この屋敷に来なさい』 『・・・・・・・・』 夏美はもう一度奥歯を食いしばって、敵意の目をむけた。 『判っておる・・・・。だが貴女には来なければならない理由がある』 『・・・・・・・・・・』 『夕べの様子をビデオに撮っておる。沖田が今朝からビデオの編集をしておるのだよ』 堂島が淡々と告げたのだった。 『ひっ ひどい! 最低です!』 それまで黙って聞いていた夏美だったが、ひと際高い叫びを吐き出した。 『・・・・・今は何とでも言うがよい』 講堂ではこの春から赴任する、言わば“新人”の紹介が始まっていた。 司会の声が右から左に通り抜けながら、夏美の脳裏には堂島の細く冷たい目があった。 「・・・・・続いて山中夏美先生です。山中先生には〇〇学部の助手としてお仕事をして頂きます」 司会の声に気づき、夏美はスッと立ち上がると頭を下げた。 心の中で声が聞こえた。 (負けられない・・・・こんなところで・・・) 壇上では堂島が嬉しそうな笑みを浮かべ、夏美を見下ろしていた。 入学式が滞(とどこお)りなく終わり、その後の業務を一通り終えると、夏美は重い足取りで寮の自分の部屋へと戻った。 部屋着に着替えてベットに横になると、涙が滲んできた。 一週間前の出来事は誰にも話していなかった・・勿論、気安く話せる事では無いのだが。 ビデオの存在がそれを思い止まらせていた事が当然の理由だが、夫の高志にも話せなかったのは、心配を掛けたくないという強い気持ちと、この状況も自分の力で何とか切り抜けたいという思いがあったからかもしれない。 そしてもう一つ、今夫と話しをしてしまうと、自分は我を失い壊れてしまうのではないか・・・・どこかでそんな恐怖を感じていた・・・・。 知らずに眠り込んでいた夏美が目を覚ましたのは、夕暮れが迫った午後の5時頃だったか。 堂島が“来い”と言った目的は、イヤでも想像がついた。 もう一度犯されるのだろうか・・・天井を見上げながらそんな考えが浮かぶと、身体中に悪寒が走り抜けた。 そして、一度沸いた“負”の記憶は更なる悪夢となって甦ってくる。 ニコリともせず冷たい視線をビデオカメラを通して向けて来たゴリラのような男・・・沖田。 能面に時折り薄ら笑いを見せる女・・・大山幸恵。 「異常だわ」 吐き出すように声を荒げ、夏美はベットから起き上がった。 夏美は両腕で自分の身体を抱きしめながら、震えが静まるのを待った。 この一週間、発作的に身体が震えだす事があった・・・・。 5時半、夏美は部屋を出た。 身支度の際、無意識の内に下着に気を使っている自分が嫌だった。 何度も足を止め、振り返り、溜息を吐き・・・やがて白い大きな建物が見えてきた。 あの夜はブレザーを羽織って襟元を正してやって来たのだったが、今日はジーンズにパーカーという部屋着の上に、スポーティーなジャンバーを着ただけの格好であった。 夏美は一旦門扉の前にたどり着いたが、表札を見た瞬間踵(きびす)を返そうとした。 しかし、背を向けようとしたまさにその時、門が開かれた。 「あら、夏美さん。遅いからこれから部屋まで迎えに行こうかと思っていたのよ」 聞き覚えのある声に振り向いた夏美の目に、静かに微笑む小柄な女の姿が映った。 堂島の口から“情婦”と紹介された女・・・幸恵だった。 「あら、今日は又、違う雰囲気ね」 夏美を頭の上から足の先まで見下ろして、幸恵が落ち着いた視線を返してきた。 (この女(ひと)は、一体?) あの夜の出来事に罪の意識を何も感じないのか、夏美の目には自然と軽蔑の色が浮かんだ。 夏美のその視線にも、幸恵は静かに微笑んで見せて。 「ふふふ、夏美さん。せっかくここまで来たんだから逃げたりしてはダメよ。それに沖田が、素晴らしいDVDを造ったんですから」 “っつ!”と、息が止まった。 「さあ、ご主人様がお待ちかねよ」 振り向きながら中へ向かおうとする小柄な背中を、捕まえようと夏美の足が踏み出した。 「ま 待って、幸恵さん」 頬を朱らめ幸恵の背中を呼び止める夏美に、「恥ずかしがる事は無いわ。泰三さんの前では誰でも全てを吐き出していいのよ」 幸恵がそう言ってニコリと微笑んだ。 「・・・でも、今の貴女には何を言っても無駄なのよね。・・・それも分かっているわ」 「・・・・・・・・・」 「だからあえて“脅し”を掛けてるのよ」 幸恵がそう言って、もう一度微笑んで見せた。 「卑怯だとか、ろくでなしだとか何とでも思いなさい・・・今はね」 幸恵の目が優しそうに向いていた・・・・。 この日、夏美が通されたのは、いや、連れ込まれたのはあの夜とは違う部屋だった。 部屋全体が暗い雰囲気なのは、日が暮れたせいだけではなかった。 薄紫っぽい壁紙はくすんでいて、一つしかない窓は小さく、部屋の照明(あかり)はどこかレトロっぽい雰囲気を漂わせていた。 片面の壁には大きな鏡がはめ込まれており、そして夏美を一層緊張させたのは、部屋の中央に備えられた一台の大きなベットだった。 幸恵が部屋から出て行った後は、沈黙がやってきた。 夏美は涙腺が緩むのを感じながら、壁の鏡に近づいた。 本当なら鏡に映る顔は希望に燃え、責任に喜びを感じ、充実に溢れた女の顔のはずだったのだが。 今、自分を見つめ返すこの表情(かお)は・・・・・・。 夏美は改めて喪失の感情を味わった・・・。 しばらくして部屋の扉が開かれた。 (!!・・・) 堂島が現れた。 堂島はあの夜と同じ着物姿だった。 「ふふ、夏美さん、よく逃げずに来た・・・。まあ、貴女は責任感は強いし、何事にもけじめを求める女(ひと)じゃ・・・・。だから儂は、貴女は“あの夜”の事は誰にも言わんし、今夜も必ず来ると信じていたわい」 「・・・・・・・・・・・・・」 夏美は黙ったまま敵意と軽蔑、そして隙のない目を見せていた。 「り 理事長・・・ビデオを・・・DVDは破棄してください。わたし・・・・あの夜の事は誰にも言いませんから」 夏美の口から、思った以上の強い言葉が吐き出された。 夏美は自分は落ち着いている・・・と、思った。 「くくく・・・、夏美さん、貴女は儂が思ってる通りの強い女じゃ」 「・・・・・・・・・・・」 「儂は芯の強い女が大好きじゃ」 「・・・・・・・・・」 「しかし・・・・・その強さが貴女の欠点でもある」 「・・・・・・・・・・」 「貴女はもっと素直に女の“弱さ”、“甘え”と言った物を男(ひと)に見せられるようになると、もっと素敵な女になれるぞ」 「・・・・・・・・・・」 「それと・・・・・」 堂島の口元がニヤッと歪んだ。 「・・・・もっと己の“欲望”を正直に出すのじゃ」 堂島の妖しい響に、夏美は“ゴクリ”と唾を呑み込んだ。 そして夏美は意識した・・身体中に戦慄が沸き上がって来る事を・・・・。 ・・・・気付けばすぐ目の前に堂島がいた。 堂島の目を見た瞬間、夏美の身体は金縛りにあったように硬く震えだした。 そして・・・。 堂島の手が、ゆっくりと夏美の肩に掛かった・・・・・。 |